金氏 高麗人参トップ>歳時記のある暮らし2017年7月

日が長くなり暑さが日ごとましてゆきます。

皆様、おすこやかにお過ごしでしょうか。

いつも『神秘の健康力』をご愛用いただき
誠にありがとうございます。

夏山や湖水青く鳥啼き渡る 正岡子規

山滴る(やましたたる)というように、
このころの山は青葉が雨で洗われてみずみずしいものです。

梅雨明け前、半夏生(はんげしょう)という時期があり、田植えを終わらせる農事の節目とされています。このころは、カラスビシャクという毒草が生える多湿で不順なころとされ、天から毒気が降りるとか、地面が陰毒を含んで毒草が生えるなどの言い伝えがあります。このころに生えるわらびなどを食べることや種を播くことを忌む風習があったようです。かつては井戸水が飲料水とされていたので、梅雨末期の大雨で水質が変わり、食中毒を招きやすいことから、井戸に蓋をしたそうです。

今では水道水で、衛生面で安心できるようになりましたが、食中毒に注意が必要な時期であることに変わりはありません。食中毒は梅雨の後半から急増し九月ごろまで続きます。これは海水温度の高い季節と関連しているといわれます。食中毒を起こす微生物の一つに腸炎ビブリオがあります。海水中に腸炎ビブリオが多い時期、獲れた魚介類に付着した腸炎ビブリオが、漁獲後の流通過程、調理中の不適切な取り扱いにより増殖し、食中毒の原因となります。

梅雨明けごろに京都では祇園祭があります。祇園祭のはじまりは八六九(貞観十一)年。当時、京の町では疫病が流行し大勢の死者が出る悲惨な状況でした。医学の発達していなかった当時、猛威を振るった伝染病を人々は神仏に祈願することで収めようとしました。祈祷により疫病退散を祈った「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」が祇園祭の起源だといわれています。

七月にはロマンチックな星物語から始まる七夕があります。織姫と彦星の年に一度の逢瀬に因む七夕は、もともとは中国の「乞巧奠(きっこうでん)」という行事でした。「乞」は願う、「巧」は巧みに上達する、「奠」はまつるという意味で、織姫にあやかり機織りの技が上手くなるように、ひいてはさまざまな手習いごとの上達を願いました。

奈良時代、遣唐使によって日本に伝わって宮中行事として取り入れられ、詩歌や裁縫の上達を星に願うようになりました。笹に短冊をつるして願い事をするようになったのは、江戸時代から。手習いごとをする人や、寺子屋で学ぶ子供が増えたことから、星に上達を願うようになったのです。七月を文月というのも、短冊に歌や字を書いて書道の上達を祈った七夕に因んだ「文披月(ふみひらきづき)」が転じたものといわれています。

七夕飾りに使う笹は、昔から邪気を祓うといわれてきました。虫よけの効果もあるといわれます。笹につるす飾りには、さまざまな願いが込められています。紙風船やくす玉に、織姫の織り糸を表す五色の細長い紙を貼りつける吹き流しは、魔除けの意味があります。色紙に切り込みを入れてつくる網飾りは、魚を捕る網を表し、豊年豊作大漁の願いが込められます。他にも、長寿を願う折り鶴、裁縫が上達し着るものに困らなくなるといわれる紙衣(かみこ)、金運上昇を願う財布(巾着)などがあります。

天の川に輝く琴座のベガが織姫(織女星)で、鷲座のアルタイルが彦星(牽牛星)。この二つの星と白鳥座のデネブを結んだものが「夏の大三角形」と呼ばれ、夏の星座を探す目印になっています。白鳥座は、二人の橋渡し役となるカササギです。七夕はロマンチックなイメージですが、由来を紐解いてみるといろいろな文化が結びついていることがわかります。新暦の七月七日はまだ梅雨のさなかで星空も見えないことが多いですが、旧暦の七夕は現在の八月なので夜空もきれいです。月遅れの七夕に星空を見上げてみてはいかがでしょう。

南東季節風が吹き寄せると梅雨も終わります。カラッとさわやかな白南風(しらはえ)と呼ばれる南国の風が雨雲を一掃し、一気に季節のページが進みます。どこからともなく夏祭りのお囃子が聞こえてきそうです。ほおずき市や金魚すくい、すだれや朝顔など、夏の風物詩が暮らしを飾ります。

どうぞ、楽しい夏をお過ごしください。

皆様のご健康をお祈りいたします。


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